権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

逝ける川上邦世氏に就いて

彫塑 第2号(大正14年7月1日発行) 雑誌「彫塑 第2号」(大正14年7月1日発行)に「逝ける川上邦世氏に就いて」(中野桂樹)と題する記事に彫刻家 川上邦世について記載されているので紹介したい。 [以下、抜粋]・お客が来ると、お茶の代わりだと云うので…

日本映画発展期の権田保之助の関わり

NHK連続ドラマ「おちょやん」こと浪花千栄子が若手映画女優として活躍し始めた1920年代半ばから1930年代前半の日本映画界は、サイレント映画から、音声の表現もあるトーキーへの移行という大きな転換期を迎えていました。千栄子が1928年(昭和3年)に映画デ…

著書「活動写真の原理及応用」が面白い!

活動写真の原理及応用 権田保之助の最初の著書「活動写真の原理及応用」(大正3年10月18日発行)が面白いので紹介したい。 [概要] 内容の大半は技術的解説で占められ、啓蒙的色彩の濃いものであるが、最終章で「活動写真の哲学、活動写真の文明」をい…

木彫「かつを」の作者川上邦世を評価する権田保之助

権田保之助は大正5年6月に「建築工芸雑誌」に「置物彫刻の将来」を投稿しており、その中で木彫「かつを」の作者である川上邦世について述べているので紹介したい。 [以下、抜粋]・日本将来の置物彫刻を形成する、当面の人として、光雲、雲海、朝雲の3氏…

「日本美術」への投稿と木彫「かつを」の作者

明治・大正時代に発行された月刊誌「日本美術」に権田保之助は何度か投稿しています。購入した「日本美術」に掲載されている投稿について紹介します。また、「日本美術」の記載から、権田保之助が大切に持っていた木彫「かつを」の作者が判明しました。驚き…

ウイリアム・モリスの美術工芸運動と権田保之助の思想

権田保之助は、デザイナー、思想家、詩人であるウイリアム・モリス(1834~1896年)の影響を大きく受けたと考えられます。卒論「価値の芸術的研究」においてもウイリアム・モリスの説を引用しています。ここでは、ウイリアム・モリスの美術工芸運動…

権田保之助と櫛田民蔵の書簡

権田保之助の次男速雄氏が書き写した「権田保之助から櫛田民蔵への手紙(写)」、ネットで購入した書籍「櫛田民蔵・日記と書簡」がある。今日は権田保之助の命日。両者(抜粋)を並記し、また権田保之助の著書「美術工芸論」のポイントを記載する。 [「権田…

「映画鑑賞日記」と「独語研究」

ここに権田保之助の昭和4年3月22日から7月2日までの「映画鑑賞日記」(写)がある。次男の速雄氏が書き写したものである。昭和4年4月から毎月発刊された権田保之助主幹の「独語研究」と見比べると面白い。今日は権田速雄の命日。本稿を権田速雄に捧…

関東大震災直後に現れた娯楽の種々相

コロナ禍でもありネットで書籍を購入した。「女性 4巻5号」(大正12年11月、プラトン社発行)である。この中で、関東大震災直後の権田保之助の考え「非常時に現れた娯楽の種々相」が述べられているので紹介したい。 [以下、抜粋(一部編集)]・この…

権田保之助の映画観について

コロナ禍でもありネットで書籍を購入した。「サイレントからトーキーへ」(早稲田大学名誉教授。映画史・映画理論専攻。岩本憲児著)である。この中で、権田保之助の社会学者としての映画観が述べられているので紹介したい。 [以下、抜粋(一部編集)]・権…

権田保之助に関する海外書籍

書籍「近代による超克(戦間期日本の歴史・文化・共同体)」(ニューヨーク大学教授 ハリー・ハルトゥーニアン著、2007年 岩波書店)に権田保之助に関する記載があるので紹介します。 [以下、抜粋]・民衆的な娯楽形態を研究した飽くなき社会研究家として、…

権田保之助に関する海外論文

ここに、Etsuko Grothという人が1998年にウイーン大学で報告している論文があります。権田保之助を客観的に捉えていると思うので紹介します。 [以下、抜粋]・権田保之助は大正期、昭和前半期に活躍した社会学者である。権田は第一次世界大戦前後、日本の都市…

権田保之助の「おもちゃ絵」について

昭和52年1月に発行された「余暇行政」という雑誌(?)に東京経済大学助教授 田村紀雄氏が「娯楽調査を拓いた権田保之助」という記事を掲載しています。その中で権田保之助の「おもちゃ絵」について論じています。 [以下、抜粋]あまり知られていないが「…

「おもちゃ絵」の話

大正8年3月1日発行の「幼児教育」(日本幼稚園協会)に、日本幼稚園協会2月常会の講話が掲載されています。この時、権田保之助は「おもちゃ絵」の話をしています。おもちゃ絵に対する権田保之助の想いが伝わってきます。 以下、抜粋です。 ・これからお…

フォトムービー「浅草を愛した娯楽研究者 権田保之助」

おうちタイムを利用して フォトムービー「浅草を愛した娯楽研究者 権田保之助」を作成しました。 You Tubeへ公開しましたので、是非ご覧ください。 [音声付き(21分)]←分かりやすいです。 おススメ! https://youtu.be/yo4udxWvwes *「辻占」を「つじせ…

著書の解説で若き日の自分を語る権田保之助

「瑞西」に本文と同量の解説を書いた 第二次大戦後の昭和22年(1947年)、大原社会問題研究所は「日本社会問題名著選」と銘打ったシリーズの発刊を行いました。そのシリーズの中に明治37年に発行された安部磯雄著「瑞西(スイス)」があります。権田…

調査報告が遅れた権田保之助の浅草調査

以下、権田保之助の次男速雄氏の「父・権田保之助」より抜粋。 調査報告が遅れた権田保之助の浅草調査 「民衆娯楽問題の原書は丸善にはありません。浅草にあります。」と学生の質問に答えたほど浅草を愛した権田保之助は、東京の下町育ちの例にもれず根っか…

権田保之助の社会調査、娯楽調査の姿勢

以下、権田保之助の次男速雄氏のメモより。 権田保之助の社会調査、娯楽調査の姿勢 父の社会調査、娯楽調査の基調を流れている考え方、姿勢を表わす一寸したエピソードがある。それは志那事変初期の頃だったと思う。私のすぐ下の弟とは年令が近く、遊ぶのに…

中野に家を建てた権田保之助

中野に家を建てた権田保之助 速雄氏のメモ(昭和58年6月27日)に以下の記載があります。 中野の土地を選び家を建てた理由 東京外語大の後輩 田中氏とは親しい間柄であったと思われる。まず墓地の件がある。祖父 伊三郎が上京後、妻のために墓地を求めた…

権田保之助のおもちゃ絵に出合いました

権田保之助の収集したおもちゃ絵に出合いました 10月6日、茅ヶ崎市美術館で開催している「江戸の遊び絵づくし」展を観てきました。珍しい作品も多く、展示も工夫されていてとても面白かったです。 [茅ヶ崎市美術館ホームページ] http://www.chigasaki-m…

権田保之助に関する書籍が出版

権田保之助に関する書籍が出版 2019年8月29日、「近代社会教育における権田保之助研究」という書籍が出版されました。著者は権田保之助の研究者である早稲田大学の坂内夏子教授です。権田保之助の著作集、研究誌は既に出版されましたが、権田保之助に…

新島、式根島を愛した権田保之助

権田保之助の妻は伊豆七島の新島出身 権田保之助の妻、前田タンは伊豆七島の新島出身で、実家は代々、酒、味噌、醤油等の醸造業をやっていて伊豆七島全域に出荷していた。前田タンは上京し女学校に通い、その女学校での親友が権田保之助の姪であったことから…

月刊誌「日本映画」へ投稿していた権田保之助

権田保之助の投稿 権田保之助は、月刊誌「日本映画 第四巻 第十號」(昭和14年10月1日発行)で「映画四十年史」を特集した際、「映画劇出生陣痛期」を投稿しています。これによると、映画劇という言葉が使われる前は「活動写真劇」という言葉が使われて…

大原社会問題研究所100周年

本日、大原社会問題研究所100周年記念シンポジウムが開催 権田保之助が研究員として勤務した大原社会問題研究所(以下、大原社研)は、1919(大正8)年2月9日、岡山県倉敷の大原孫三郎によって大阪天王寺に創立されました。権田保之助は大原社研で、…

浅草を愛していた權田保之助

晩年、「浅草記」を愛読していた權田保之助 生前、権田速雄氏は以下のメモを残しています。 [以下、速雄氏のメモより]戦中(晩年)、父の保之助が愛読していた書物がある。「浅草記」 久保田万太郎著 生活社 昭和一八年七月刊「寄席風俗」 正岡容著 三杏書…

今でも残る權田保之助の鍋横での記憶

現在の中野区鍋横に住んでいた權田保之助 權田保之助は、大正10年11月から、中野町本郷(現在の中野区鍋横地域センター、鍋横保育園のある場所)に住んでいました。 地域で発行している冊子に当時の權田保之助邸の記載あり 中野区鍋横地域センター内の「なべ…

芝居や映画好きだった權田保之助

息子たちと芝居を見た權田保之助 以下、權田保之助のメモ(権田速雄氏が書き写したもの)より。 [昭和4年3月27日]矢張り、速雄と照雄(三男)との為に、子供の芝居を見に明治座へ出かけた。雨にぬかった道を遠く久松町まで、電車で行くことは閉口した。途…

權田保之助の通った小学校

權田保之助の通った小学校は地図に記載されていない 權田保之助は「東京市私立代用春育尋常小学校卒業(M25.4.1入学)」と記載されています。明治28年の東京市神田区の地図を見ても、この小学校は記載されていません。どこにあったのでしょうか。 「神保町…

多方面で活躍した權田保之助

社会学者、ドイツ語学者、民衆娯楽研究者だった權田保之助 權田保之助は、社会学者であり、ドイツ語学者でもあり、民衆娯楽の先駆的研究者でもありました。大原社会問題研究所での月島調査(大正7年~9年)、浅草調査(大正10年)などの社会調査、和独辞典・…

私にとっての権田保之助

私が権田保之助に興味を持った理由 私が権田保之助に興味を持ったのは、「権田保之助著作集」第一巻の「大正時代の活動写真(映画)の映写時間を通常の二時間半から一時間十九分に早回しして、一日三回の興業を四回に増やした」という記載が面白いと思ったか…