権田保之助ん家

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「ブギウギ」は権田保之助の生きた時代と重なるようだ

 NHK連続テレビ小説「ブギウギ」から目が離せない。
笠置シズ子をモデルとしたドラマで、かなり現実に即しているようだが、ドラマティックに脚色しているところも多い。
視聴者はそれを承知でつい見入ってしまうのだろう。

笠置シズ子の恋人である吉本興業の吉本穎右は1923年(大正12年)生まれで、シズ子と出会った1943年(昭和18年)当時は20歳で、まだ早稲田大学の学生だった。
1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で焼け出されたシズ子と穎右は荻窪のフランス人宅に間借りし、愛情溢れる生活を送った。
終戦後の1946年(昭和21年)10月、シズ子は妊娠する。
1947年(昭和22年)、肺結核が悪化した穎右は西宮の実家に戻って療養に専念するが、1月14日に東京駅で穎右を見送ったのが今生の別れとなってしまう。
5月19日、穎右が亡くなったとの報せが入る。
6月1日、シズ子は女の子を無事に出産する。
そしてシズ子は、服部良一に「センセ、頼んまっせ」と声をかけて新曲を依頼したそうだ。
服部はシズ子のために、苦境を吹き飛ばす華やかな再起の場を作ろうと決心し、何か明るいものを、心がうきうきするものを、平和への叫び、世界へ響く歌、派手な踊り、楽しい歌、それは、シズ子のためだけではなく、日本人の明日への力強い活力につながるかも知れないと考える。こうして「東京ブギウギ」が誕生するのです。

 権田保之助は関東大震災(1923年9月1日)の前から東京都中野へ転居し、中野で終戦(1945年8月15日)を迎えました。
終戦当時、保之助には6人の子息がいましたが、当時15歳の5男は結核を患い、1948年10月に18歳という若さで亡くなってしまいました。
当時、結核は不治の病だったのでしょう。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」は、権田保之助の生きた時代と重なるようだ。