権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

権田保之助などが撮影した関東大震災直後の写真

 今年の元旦、石川県能登地方を震源とする地震津波・火災による甚大な被害が発生しました。
被災された地域の復興、被災された方に一日も早く安心した生活が戻ることをお祈りいたします。

私は、中学の修学旅行で初めて金沢と輪島に行きました。
当時(40数年前)は新幹線がなく夜行電車の普通席に座って行った記憶があります。
金沢の兼六園、輪島の朝市、棚田、塩田などとても思い出深い場所です。
朝市で賑わっていた地域が火災で焼失してしまったことはとてもショックでした。

その後も、もう十数年前ですが、御陣乗太鼓を観に輪島と珠洲市を旅行しました。

今朝のニュースでは金沢の近江町市場での商売が再開されたとのことでした。
近江町市場は新鮮な魚介類が沢山並び、活気が溢れていて、ここ数年で2回訪れています。
一日も早い各地の復興を楽しみにしています。

 自分の生まれた場所、住んでいる場所、好きな場所、行ったことのある場所が被災してしまうことは、とても辛いです。

100年前の関東大震災で被災した地域の方もきっと同じ思いをされたことでしょう。

 昨年2023年9月1日~今年2024年4月27日まで、千代田区九段北のHOSEIミュージアム大原社会問題研究所員が撮影した「関東大震災写真集」展示されています。
第1部では「都市の被災状況 -建物・死者・街-」、第2部では「被災後の都市 -避難・救援・復旧、復興-」が展示されています。

https://www.hosei.ac.jp/info/article-20230808112921/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54

HOSEIミュージアムでのイベントチラシ

昨年、第1部の展示を見てきました。
展示された写真は、震災後の混乱のなかで、大原社会問題研究所が社会を記録することに注力したもので、現地に派遣された所員による286枚の写真が収められています。
日誌には、
1923年12月4日 権田保之助氏ヨリ震災写真小包壱個到着
と記載されていることから、権田保之助も現地に派遣されて写真撮影したようです。

展示された写真の多くは、日比谷、丸の内、浅草、神田の写真で、三島の写真が1枚、中野町本郷の民家に貼り付けられた戒厳司令部の宣伝張り紙「軍隊警備継続要領」の写真が1枚あります。
また、浅草十二階が写った写真や浅草と思われる写真が多数ありますが、その多くは撮影場所の記載がありません。

 権田保之助は当時、中野町本郷に住んでいたので、中野町本郷の民家に貼り付けられた戒厳司令部の宣伝張り紙の写真は権田保之助が撮影したものと推察します。
また、浅草十二階が写った写真や浅草と思われる写真の多くに撮影場所の記録を残さなかったのは、浅草を愛したが故に大きなショックを受けた権田保之助の心情を表しているのかも知れません。

写真は、以下の場所の被災状況を記録している貴重なものです。

・浅草仲見世通り
・神楽坂通り
神田小川町通り
・浅草十二階
日本橋丸善
・吉原付近
歌舞伎座付近
ニコライ堂
・東京電燈
・神田通信局
・警視庁
・新橋停車場
万世橋
・帝国ホテル
日本橋通り一丁目
東海道三島付近
・日比谷
・小川町付近
・神保町
・銀座
・中野町本郷の民家に貼り付けられた戒厳司令部の宣伝張り紙

 

関東大震災直後の権田保之助