権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

新島、式根島を愛した権田保之助

権田保之助の妻は伊豆七島の新島出身

権田保之助の妻、前田タンは伊豆七島の新島出身で、実家は代々、酒、味噌、醤油等の醸造業をやっていて伊豆七島全域に出荷していた。
前田タンは上京し女学校に通い、その女学校での親友が権田保之助の姪であったことから、保之助とタンの交際が始まり、大正6年11月28日に結婚した。

 

権田保之助は新島、式根島をこよなく愛した

権田保之助は新島、式根島をこよなく愛し、島の人達からも大分頼りにされたらしい。何度も島を訪れ、「新島の盆踊」、「伊豆の新島」、「新島の土地と家」等の民俗学的エッセーを雑誌に発表している。
島の青年団から講演を依頼され、「新島よ!汝を何処に?」と題し、島の将来の産業開発について青年は広く新しい視野を持たなければならないと論じている。

 

昭和初期、式根島の雅湯付近に慈恵医大式根島診療所が開設された。新島で流行った胸の病が式根島で広まらないように、徹底した医療体制が敷かれたのでしょうか。
式根島開島百年史に「隣島からも患者が千客万来の盛況を呈する、式根島には過ぎた医療機関が開設された」と記載されている。
当時の島の人の力では実現できるものではない。島を愛した権田保之助の口利きがあったのでしょうか。

 

島の豊かな自然、独特の風習、素朴な人々

権田速雄氏から生前、「新島、式根島は良いところだから行くといい。」、「行ったら母方のお墓参りをしてほしい。」と伺っていたので、先日、新島、式根島を訪問し、前田家のダントウ(お墓)参りをしました。
ダントウは、墓地全体に白砂が敷かれていて、とてもきれいで、線香を白砂へ直接立てるのが印象的でした。
島の豊かな自然、ダントウ・さきばたなど独特の風習、素朴な島の人々。
権田保之助が愛した新島、式根島は魅力的な島でした。