権田保之助ん家

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権田保之助と櫛田民蔵の書簡

権田保之助の次男速雄氏が書き写した「権田保之助から櫛田民蔵への手紙(写)」、ネットで購入した書籍「櫛田民蔵・日記と書簡」がある。
今日は権田保之助の命日。両者(抜粋)を並記し、また権田保之助の著書「美術工芸論」のポイントを記載する。

 

[「権田保之助から櫛田民蔵への手紙(写)」と「櫛田民蔵の書簡」(抜粋)]
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・明治44年11月9日(民蔵→保之助)
 日本美術早速お送り下され有難く感謝致します。此の貴重な雑誌を送ってもらって只だ「感謝致します」で済ますのは何だか物足りない、めくら滅法なことを云って笑われるかも知れないが、他の人ではない、何でも思う存分に感じた事を書いて返礼に代えたいと云う気になりました。・・

(一)序言の部につき
(作者の心理及び作品の傾向という意義の部)
(イ)兄は「人格とは知情意の三作用より成る」との言を以て呑舟の魚を逸したものというけれど僕はそうは思わぬ、この言は知情意という精神活動の三方面を知ることによりこの三方面が構成する単一の経過的全体全体たる人格を知ることが出来るという意味であって決して分割的の見解でなく総合的の見方である。兄のいわゆる「人格とは人格なり」を無視してはいないと思う。・・
(ロ)兄はいわゆる人格とは人格也、第一原理なりと断じて尚「人格の内容は各人の過去経済の総和なり」と云い、しかも「その成立せる結果の方面なり」「人間活動のある一時期を切り離してこの間における人格の地位を考えればこれは自発的の原理」であるという、さすれば、人格とは過去経験の総和なりというも「第一原理」なりというもそれは見方の争または言葉の争に過ぎない、・・

(藝術品の意義の部)
(ハ)作者が或物を創作せんとして或る観察を試みる時は既に技巧の問題は同時に(殆んど)起っている。・・思うに芸術上技巧とは矢張り人格活動の発現である。・・

(新しき批評的態度の部)
(二)以上述べ来りし所より、兄の「新しき態度」なるものは極めて曖昧なものになった。又「技巧により藝術品を見るはよし、而も之れは其の技巧が真面目に人格を流露せりや否やと云う意味にて言う也・・」は無用の弁となった。・・

(細評の部)
 これは全く解らない。実物に接しない内は。兄は極端に「人格」を主張するの結果、彼の印象批評を一文の価値なき如く云うけれども僕は反対だ、批評と云う意義から考えても此の印象批評と云うことは正当である。・・

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[日本美術 第153号(明治44年11月発行)]
作者の心理と作品の傾向(抜粋) 権田保之助
(一)序言
(1)作者の心理及び作品の傾向という意義
 ・人格は実に人間活動の第一原理なり、人格は即ち人格也。
 ・此の人格というもの内容を形成するものは、各人の過去経験の総和なり。
 ・藝術家が藝術品創作の一時期を割してこれを考えるに、藝術家の「人格」は創作の静的基礎を成せるものなり。
  而してこの静的基礎が、環象もしくは心象に接触して動的のものとなり、藝術創作の心的過程に於ける背景の位置より抜け出でて、その舞画上に活躍し、具象性を供うるにいたるや、吾人はこれを呼んで創作家の「態度」となす。
  斯の如く藝術家の「人格」という静的のものが、動的にして具象性を有する「態度」となる、吾人はこの過程を指して「作者の心理」と名けんと欲するなり。
 ・時々刻々に於ける斯かる藝術家の態度の軌跡を、作者の創作的傾向といい、これの材料に則して外部に表わされしものを「作品の傾向」という。

(2)藝術品の意義
 ・藝術品の見る所は、実に真面目なる人格の流露にありて存す。
  即ち技巧の中に作者の霊妙なる心理に触れんとするにあり。

(3)新しき批評的態度
 ・吾人の持する批評的態度は、藝術品の中に作家の心理の消長を探らんと欲するもの、詳しくは、先ず作品の傾向に接して作者の藝術的人格を知り、次いで作者の創作的態度を窺い、以て作者将来の道程に言及せんと欲するもの、これ吾人が自ら新しき批評的態度として許さんと欲するものなり。

(二)細評
 ・絵画彫刻展覧会出陳の木彫の批評を試みんとす。・・
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日本美術

・明治44年12月1日(民蔵→保之助)
 独り朝から市内をぶらつき岡崎の浮世絵展覧会へはいって見た、好いものがあった、只だ兄と一緒でなかったのを憾みとする。先刻其の名残に絵ハガキを一組買って送った。
 ・・人工を加えた自然、文明の果樹園は年末の八百屋に見ることが出来る。然し又た岡崎近傍の売地の広告と新建の増加とを見ると、彼の復古論者が自然の枯渇をなげくのも無理はないと思われる。然し更に又た其の枯渇から新たな美が生れた事も忘れてはなるまい。それにつけても羨ましく思われるのは彼の此等何れを見ても何の矛盾も感ぜず、能狂言を見た目で活動写真を見、古土塀にたてられた赤ペンキの広告に一顧も払わない所の現代人の現代人と古代人の古代人とである。然し又た翻って思うと物質は不滅、人は只だ其の時の形態を変するのみと観した其の時々の趣を眺めて行くのも捨て難い生活ではなかろうか?・・

 

・明治44年12月2日(保之助→民蔵)
 浮世絵の絵葉書 有難く頂戴しました。
 実の所 僕にはまだ浮世絵の本当の妙味が分からないのです。色彩のあまりに強烈な所や、特に歌麿の絵に見るお化けの様な女や、が僕には何だか縁遠い様に感じられてならないのです。
 しかし、僕は浮世絵というものに、そして日本には純正美術なるものが、皆応用美術化されて真正の意味の純正美術なるものの存在を殆んど見ることが出来ないということに、僕は深い意味を覚ゆるのです。

 

・明治44年12月16日(保之助→民蔵)
 「かつを」の木彫に対する僕という復古主義の男を御想像致したく候、マルクスの嫌いなるも無理なしと御容赦いただきたく、美学の書物をおそれるを蛇や蝮の如く思い候も御肯首いたしたく候。

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木彫(かつを?)

・明治44年12月18日(民蔵→保之助)
 此の手紙を書き終った処へ君からの御手紙を藤代先生の手から受取った。僕が封を切ると先生が読みはじめた。そうして僕よりも先きに読んで終って我が意を得たと云わぬばかりに喜悦満面である。
 ・・兄の所謂復古趣味否「兄の趣味」に向ってどれ丈快感を催すか知れぬ。寧ろ僕はマルクスなどを兄に読んでもらい度くない。・・

 

・明治45年5月21日(民蔵→保之助)
 ・・国民性論を提唱し今や唯物史論を批判して価値論を卒業し候兄は進んで活動写真の御研究をはじめられる趣、学会の慶事此上もなく候。小生は科学を以て価値の否定となし宗教を以て価値の肯定と思惟すると同時に唯物史論を以て価値否定論となし国民性論を以て価値肯定論と信ずるものに御座候。
 前者は所謂因果論に立ち後者は所謂無因論に立つと信ずるものに候。故に小生の見地よりすれば国民性論を徹底し唯物史論を批判したる兄は自ずと価値論を構成するものに有之兄の卒業論文の価値論は此の意味に於てしかしかの内容を有するにあらずやなど思惑在り候へ共、是は先頃御知らせ被下候項目により御察し申上候丈にて本物に接し候へば案外全くの見当違なるやも不知候。
 ・・思うに国民性を論じ活動写真を論ずる兄は、他の場合に如何の御仁にもあれ、其の思想を生むの人僕の所謂人格の人たるは些の疑なき所と存申候。・・

 

・明治45年6月19日(保之助→民蔵)
 小生は個人主義よりして美学を修めんといたし・・
 「価値とは人が主観的に現在の刹那に於て享楽する物の作用より生ずる性質なり」
 =「価値は遊戯化の心的結果なり」といい、更らに
 「文明とは遊戯化の歴史なり」と申候

 

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[「美術工芸論について」(抜粋)](工芸美術誌『かたち』主幹 笹山 央)
・美術工芸の中には「(日常生活の需要に応ずる)実用」と「芸術作用」の2つの要素があり、その両要素を「抱合」せしめる工業活動が美術工芸である、というのが権田の定義である。
・「実用と美の内在的抱合」という美術工芸の存立についての権田の理論的ビジョンは、生産・労働と遊戯・娯楽とを同値的なものとして捉えようとした権田の民衆娯楽論の理論的ビジョンと、構造の上で相似であることに留意したい。
・権田の美術工芸論は、今日の目から見れば、実用と美とは互いに相容れない要素であるとする近代美学に対する批判とその超克の企図を含んでいる。同じように権田の民衆娯楽論は、生産・労働と遊戯・娯楽の近代主義的な二元論の批判とその超克を提唱するものと読める。
・論中に引用されているモリスの言葉『芸術の使命は人間の労働を幸福ならしめ、其の間暇を有効ならしむるにある』という労働享楽主義を、權田自身の思想的核として受け継いでいることは確かである。
・「『労働』と『遊戯』とは全く縁を切って仕舞った。労働は趣味と全然無関係・没交渉となり終った。一刀を加えては楽しみ、一撃を与えては其の製作の過程を喜んだ時代の面影は失せて、誰れの為めに製作するという考、自己の満足の為めに労作するという気持は去って、唯だ資本家の営利の為めに労働するという状態となった。」(美術工芸論 緒論)
・「唯物史観には或る程度までの真理がある。然しながらそれと民族の有する人生観とか、民族性とか(其の様なものを認めるのが間違であるというならば、それは問題ではないが)との関係に至っては、なお取り残されているものがある。」(美術工芸論 第3編第1章)

・「・・人間は働いて而して後に享楽するという今日の不徹底なる二重生活のギャップを脱して、人間が働くということが即ち人間が楽しむということ其れ自身となり、人間が生くるということが享楽其れ自身となるのである。」(美術工芸論 第2編第5章)

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美術工芸論