権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

「日本美術」への投稿と木彫「かつを」の作者

明治・大正時代に発行された月刊誌「日本美術」に権田保之助は何度か投稿しています。購入した「日本美術」に掲載されている投稿について紹介します。
また、「日本美術」の記載から、権田保之助が大切に持っていた木彫「かつを」の作者が判明しました。驚きです!

 

〇「国民性と日本美術」(第143号、明治44年1月)
(1)祖先を崇び家名を重んじる風
 ・家族主義即ち家を生活の本拠とし単位としていることは非公開的な「室内的趣味」を生じるに至らしむるもので、之に反して個人主義の国には公開的の芸術を生むのである。その室内的趣味の特色は如何、そは調和的美であり相対的美である。懸物のみを離してその趣をいうことは出来ない、額のみをもってしてその美を論じるは難い、屏風、襖の絵のみ抽き出してその味を知ることは無理である。懸物、活花、襖、机、手焙、敷物、急須、茶碗等残らず相待ち相倚ってここに渾然たる味を生じるのである。
 ・彫刻を見る時にも亦同じで、室内的趣味、調和的美、叙事詩的美という考えを忘れることが出来ぬ、これが日本彫刻をして西洋の彫刻とその趣を異にせしむる一原因ではあるまいか。

(2)現世的、現実的=楽天洒落
 ・日本人はかく現世的であり現実的である、その結果、極めて楽天洒落の風がある。
 ・日本人の現世的楽天的性情は風逸洒脱の味と静六動四の美をなすのであって、布袋和尚が絵画彫刻の題目として常に喜ばれるのは勿論、鳥羽覚猷の戯画に於ける、北斎の漫画に於けるは言うまでもなく、一體に日本の美術に単宗的趣味の溢れていることは到底否むことを得ぬ所である。翻って徳川芸術の粋たる浮世絵の発展は国民の現世的性情に関係なしと云い得ぬであろう。

(3)淡泊清酒
 ・淡泊清酒の国民性情はその美術の形式に高潔、爽快、淡泊の動的美を与え、その内容をして寂びの味を表しむるにいたる。

(4)趣味生活
 ・直覚的にその味に触れ、その感じに突入するものである。
 ・ぐるりと一なすりなすりたる達磨の絵に絶好の趣を感じ、粗々削いだる木彫の刀痕に会心の味を覚えるのである。

(5)保守的、形式的、真面目的
 ・礼儀を重んじ作法を尚ぶという風は、虚飾的外見美を去らしめて、美術をして地味な、渋い、ピカピカならざる、落付ける、高雅な、言外的な、含蓄的な趣あるものたらしめたのである。

(6)繊麗繊巧
 ・繊麗繊巧という性情は美術の題目をして人よりも動物、動物よりも草木を選ばしむるのである。

(7)自然愛好
 ・西洋芸術の源泉たるヘレニズムと日本趣味との間に面白き対象を発見するものである。一は歴史的事実であり一は自然神話である。而してこの自然神話の側面を調べる時にはその国民の自然に対する真情を探ることが出来ると思う。
 ・日本人は自然を愛す、その結果美術の題材を多く自然物に探り、更にその題材を凡て自然物の一部として景色的に描写することに力める傾向がある。


〇「作者の心理と作品の傾向」(第153号、明治44年11月)
(1)作者の心理及び作品の傾向という意義
 ・人格は実に人間活動の第一原理なり、人格は即ち人格也。
 ・此の人格というもの内容を形成するものは、各人の過去経験の総和なり。
 ・藝術家が藝術品創作の一時期を割してこれを考えるに、藝術家の「人格」は創作の静的基礎を成せるものなり。而してこの静的基礎が、環象もしくは心象に接触して動的のものとなり、藝術創作の心的過程に於ける背景の位置より抜け出でて、その舞画上に活躍し、具象性を供うるにいたるや、吾人はこれを呼んで創作家の「態度」となす。斯の如く藝術家の「人格」という静的のものが、動的にして具象性を有する「態度」となる、吾人はこの過程を指して「作者の心理」と名けんと欲するなり。
 ・時々刻々に於ける斯かる藝術家の態度の軌跡を、作者の創作的傾向といい、これの材料に則して外部に表わされしものを「作品の傾向」という。

(2)藝術品の意義
 ・藝術品の見る所は、実に真面目なる人格の流露にありて存す。即ち技巧の中に作者の霊妙なる心理に触れんとするにあり。

(3)新しき批評的態度
 ・吾人の持する批評的態度は、藝術品の中に作家の心理の消長を探らんと欲するもの、詳しくは、先ず作品の傾向に接して作者の藝術的人格を知り、次いで作者の創作的態度を窺い、以て作者将来の道程に言及せんと欲するもの、これ吾人が自ら新しき批評的態度として許さんと欲するものなり。

〇「鎌倉時代と其の藝術に就いて」(第156号、明治45年2月)
 ・鎌倉時代の芸術は一言以てこれを覆えば自由活動的内容を写実的外形に盛りしものと言わんか。


〇「現代の木彫と作家の三態度」(第165号、大正元年11月)
 ・自分は芸術というものも作家の態度によって定まるものだと考えたい。作者の芸術的人格が創作の刹那に流露するところ、そこに作家の創作的態度が表れるもので、これが芸術の中心であり、芸術が人を動かす根元であるからである。
 ・第一のグループ「自己の成す所を知り、自己の赴く所を解し、自己を信頼して自己を表さんとするもの」
 ・第二のグループ「自己の成すべき処を自覚せず、自己の赴くべき所を知らず、即ち表わすべき明かなる自己を有せざるも、然かも如何にかして自己のいる所と自己の帰趣とを拓かんとするもの」
 ・第三のグループ「自己の成すべき所を自覚せんとにもず非ず、自己の赴く所が何処なりやを頓着するにも非ず、表わすものが自分のものに非ずして然かも少しもこれを苦とせずただ安んずるもの」

 *第一のグループで「川上澹堂」氏を以下のように紹介している。
  自己を信頼することの甚だしい作家である。技巧とか内容とかいうものは頭から問題になって居ないようである。知のみに非ず、情のみにも非ず又意志のみにも非ざる、之れ等が皆、渾然として溶けて流れた人格的の刹那に、人生の高調を感じ其処に芸術を味わっているのではあるまいか。であるから氏の態度は他の人と異なっている、従って哲学が違うのである。木彫は置物を作るものだという伝説に風馬牛であるようだし、木彫は軽妙な味を表さなくてはならぬものだという信仰にも無頓着の様である。ただ刹那の自己を忠実に掴みたいという努力があるばかり。氏を評して無鉄砲に新しがらんとする作家であるとなすものは到底氏の作品と氏の態度とを解し得ない人だと思う。氏に取りては新しいとか古いとかいうことは問題ではないらしい、刹那の気に適うものでありさえすれば何でもよい。新しがる必要もなければ、又古いことを誇る必要もないらしい。

 

 権田保之助が大事に持っていた木彫「かつを」の下面に書いてある作者名がずっと読めずにいましたが「澹堂作」であることが分かりました(間違いありません)。

川上澹堂(邦世)(1886~1925年)は、岡倉天心を会頭とする日本彫刻会(日本で最初の本格的な彫刻団体)に所属し、高村光雲に師事しました。

 

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木彫「かつを」 川上澹堂(邦世)

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木彫「かつを」下面 「澹堂作」


また、木彫「かつを」の作者、川上邦世も「日本彫刻会評」を投稿しているので紹介します。
 ・初めから置物を作ろうと思ったら、それでいいから、置物を作ればいいのだ。それだのに置物を作りながら、色々の芸当をしようとすると、変てこな物になってしまうのです。
 ・むやみにまわりから色々とかれこれ云わなくても、だまって一人で一人の考えだけのものを作った方がよっぽど立派なものが出来るわけなのです。   
 ・僕の改良とか、進歩とか云う事は、妙な変てこな物の出来上る事が大変にいやですから、必要がなくなってしまうのです。

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日本美術 目次(大正元年11月発行)

 

〇「文展の彫刻と時代精神」(第166号、大正元年12月)
 ・世間では今年の文展の彫刻は著しい進歩を成したと称賛している。成る程、人はそう見るかも知れぬ。けれど吾人は怪しまざるを得ない。彫刻の進歩ということは、形が整っているとか、居ないとか、綺麗に出来てるとか、出来ないとか、手法が鮮やかだとか、でないとかいう軽業を評するようなそんな問題ぢゃないのだ。竹箆の使い方が上手だとかいうので彫刻の進歩が望まれるならば問題はまことに容易である。けれどそうは行かぬ、問題は余程六つ箇敷くなる。現代の空気を吸っている芸術家がその芸術品の中に真剣に生まれているかどうかということによって定まる。