権田保之助ん家

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権田保之助の社会調査、娯楽調査の姿勢

以下、権田保之助の次男速雄氏のメモより。

権田保之助の社会調査、娯楽調査の姿勢

父の社会調査、娯楽調査の基調を流れている考え方、姿勢を表わす一寸したエピソードがある。
それは志那事変初期の頃だったと思う。
私のすぐ下の弟とは年令が近く、遊ぶのにも気が合い、行動を共にすることが多かったが、丁度その年頃に多い「物集め」に熱中していた。
あらゆる雑多なものを各々得意になって蒐めていた。映画のプログラム、電車の切符、駅弁の包装紙、マッチのラベル、観光案内のチラシ、地図、箸袋等々。
それこそ乱雑に手当たり次第の感があった。

 

息子に菓子屋の袋を蒐めさせた権田保之助

或日、その様な兄弟の様子を見かねたのか、父が弟に言った。
「お前達はやたらといろいろなものを蒐めている様だが、どうだ、菓子屋の袋を蒐めてみないか。店によって印刷、デザインが違い材質も異なる。また時々変わるので、それを系統的、時間的に蒐め整理すると面白い資料になるよ。」
弟は資料になると云うことが判らず、父に問いただした。
「紙袋、菓子袋の様なものにも、その時々によって流れがあり、また店の特色が出ている。一般庶民が日常生活の中で必ず買い求めるものの中味もさる事ながら、役目を果たせば捨てられてしまう包み紙は、その中味を知る事が出来ると同様に、難しく言えば庶民生活史の一面を知ることの出来る貴重な資料になるんだよ」と説明した。
弟はもともと凝り性のところへ持ってきて、父の説明に大いに共鳴したらしく、早速オヤツの為に買ってきた菓子袋は言うに及ばず、あらゆる店の袋という袋を真っ先にその中味より先に取り上げて、スクラップブックに貼り始めた。
そのうちそれだけでは満足せず、自分で菓子屋巡りを始め出した。
それも菓子を買って袋を手に入れるのではなく、直接その店の主人に頼み、菓子袋を貰い始めた。
驚いたのは店の人々で、何にするのだと問いただすと、蒐めていると云う返事しか出来ない。
今ならば社会科の勉強の為だと云う事も出来るが、その頃は店の主人に話したところで狐につつまれた様な有様であっただろう。

 

菓子袋の違い、変化に見る民衆の生活と社会経済

その様にして集まったものを眺めて見ると良く判る。即ち、駄菓子屋、普通の菓子屋、高級菓子店によってその紙質、デザインが皆違う。
しかも同じ店のものを時間を追って何枚も集めてみると、丁度日本が戦争に突入した当初と段々戦争が激しくなり、物の統制、物価の高騰の影響が現れ始めた時とではその紙質、印刷が徐々にではあるが変わってくるのが良く判る。粗悪になり、特色がなくなり、仕舞にはどの店屋のものも同じ紙質、デザインの印刷になってしまった。
そんなことから、弟の蒐集癖も何時しかさめてしまい、興味は他の分野に移ってしまった。
些細なものの中に民衆の生活と社会経済を見出し、その価値を生み出す手法を教えられたことは有難かった。
このささやかなものの見方、考え方は、父の思考方法と興味の視点、把握方法を知る上での参考になるのではないかと思う。