権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

私にとっての権田保之助

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私が権田保之助に興味を持った理由

私が権田保之助に興味を持ったのは、「権田保之助著作集」第一巻の「大正時代の活動写真(映画)の映写時間を通常の二時間半から一時間十九分に早回しして、一日三回の興業を四回に増やした」という記載が面白いと思ったからです。

 

大正時代、文化の中心だった浅草

大正時代は浅草が文化の中心地で、活動写真館の数が一番多かったことも初めて知りました。浅草は江戸時代から娯楽の中心地で、十二階建ての凌雲閣(日本初のエレベーター)や浅草オペラなど常に流行の最先端であったことを知り、ますます興味を持ちました。

神田の古本屋街で権田保之助の「民衆娯楽論」を見つけた時は、不思議な出会いを感じて、七千円と高値でしたが購入しました。

その後、両国の江戸東京博物館へ行き、大正時代の民衆娯楽コーナーを観たとき、凄いと思いました。権田保之助が作成した「浅草社会地図」が床面に大きく展示され、正面のパネルに権田保之助が調査した「各種興行場における入場人員数の変化グラフ」がありました。当時の様子を詳細に記録しており、とても貴重な資料だと思いました。

この「浅草社会地図」は、速雄氏が保管している保之助の膨大な資料の中から昭和五十八年に見つかったもので、一軒一軒の間口や階層も分かるよう丁寧に書き込まれており、速雄氏が他の資料と照合しつつ写し直して復元したものです(昭和五十八年十月二十八日、読売新聞)。見つかった資料(調査ノート、紙片など)は大原社会問題研究所に未公開資料として保管されています。

 

芳藤のおもちゃ絵収集家だった権田保之助

速雄氏との会話を通じて、権田保之助が浮世絵、特に歌川芳藤のおもちゃ絵の収集家であることを知りました。当時、おもちゃ絵は子供たちに普及したそうですが、誰も文化的価値を見出さなかったそうです。保之助は、おもちゃ絵は江戸時代の風俗を残した大事なものだと言って、当時流行の芳藤を中心におもちゃ絵を収集して研究していたそうです。当時の浮世絵専門誌「浮世絵」におもちゃ絵に関する論文を多数投稿しています。

 

権田保之助が収集したおもちゃ絵は、現在、日本浮世絵博物館に所蔵

保之助が収集したおもちゃ絵は、保之助が亡くなった後の苦しい家計をやりくりするために、速雄氏が酒井好古堂へ売り、現在、日本浮世絵博物館に所蔵されていると伺っています(是非観たいものです)。

権田保之助は、巷ではドイツ語学者、民衆娯楽の先駆的研究者として知られていますが、私にとっては、浅草、映画、おもちゃ絵が好きな文化人なんです。