権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

2019-01-01から1年間の記事一覧

権田保之助のおもちゃ絵に出合いました

権田保之助の収集したおもちゃ絵に出合いました 10月6日、茅ヶ崎市美術館で開催している「江戸の遊び絵づくし」展を観てきました。珍しい作品も多く、展示も工夫されていてとても面白かったです。 [茅ヶ崎市美術館ホームページ] http://www.chigasaki-m…

権田保之助に関する書籍が出版

権田保之助に関する書籍が出版 2019年8月29日、「近代社会教育における権田保之助研究」という書籍が出版されました。著者は権田保之助の研究者である早稲田大学の坂内夏子教授です。権田保之助の著作集、研究誌は既に出版されましたが、権田保之助に…

新島、式根島を愛した権田保之助

権田保之助の妻は伊豆七島の新島出身 権田保之助の妻、前田タンは伊豆七島の新島出身で、実家は代々、酒、味噌、醤油等の醸造業をやっていて伊豆七島全域に出荷していた。前田タンは上京し女学校に通い、その女学校での親友が権田保之助の姪であったことから…

月刊誌「日本映画」へ投稿していた権田保之助

権田保之助の投稿 権田保之助は、月刊誌「日本映画 第四巻 第十號」(昭和14年10月1日発行)で「映画四十年史」を特集した際、「映画劇出生陣痛期」を投稿しています。これによると、映画劇という言葉が使われる前は「活動写真劇」という言葉が使われて…

大原社会問題研究所100周年

本日、大原社会問題研究所100周年記念シンポジウムが開催 権田保之助が研究員として勤務した大原社会問題研究所(以下、大原社研)は、1919(大正8)年2月9日、岡山県倉敷の大原孫三郎によって大阪天王寺に創立されました。権田保之助は大原社研で、…

浅草を愛していた權田保之助

晩年、「浅草記」を愛読していた權田保之助 生前、権田速雄氏は以下のメモを残しています。 [以下、速雄氏のメモより]戦中(晩年)、父の保之助が愛読していた書物がある。「浅草記」 久保田万太郎著 生活社 昭和一八年七月刊「寄席風俗」 正岡容著 三杏書…

今でも残る權田保之助の鍋横での記憶

現在の中野区鍋横に住んでいた權田保之助 權田保之助は、大正10年11月から、中野町本郷(現在の中野区鍋横地域センター、鍋横保育園のある場所)に住んでいました。 地域で発行している冊子に当時の權田保之助邸の記載あり 中野区鍋横地域センター内の「なべ…

芝居や映画好きだった權田保之助

息子たちと芝居を見た權田保之助 以下、權田保之助のメモ(権田速雄氏が書き写したもの)より。 [昭和4年3月27日]矢張り、速雄と照雄(三男)との為に、子供の芝居を見に明治座へ出かけた。雨にぬかった道を遠く久松町まで、電車で行くことは閉口した。途…

權田保之助の通った小学校

權田保之助の通った小学校は地図に記載されていない 權田保之助は「東京市私立代用春育尋常小学校卒業(M25.4.1入学)」と記載されています。明治28年の東京市神田区の地図を見ても、この小学校は記載されていません。どこにあったのでしょうか。 「神保町…

多方面で活躍した權田保之助

社会学者、ドイツ語学者、民衆娯楽研究者だった權田保之助 權田保之助は、社会学者であり、ドイツ語学者でもあり、民衆娯楽の先駆的研究者でもありました。大原社会問題研究所での月島調査(大正7年~9年)、浅草調査(大正10年)などの社会調査、和独辞典・…

私にとっての権田保之助

私が権田保之助に興味を持った理由 私が権田保之助に興味を持ったのは、「権田保之助著作集」第一巻の「大正時代の活動写真(映画)の映写時間を通常の二時間半から一時間十九分に早回しして、一日三回の興業を四回に増やした」という記載が面白いと思ったか…

権田保之助の資料を守ってきた速雄氏

次男の速雄氏は、父権田保之助の資料を大切に保管してきました。 江戸東京博物館の「浅草社会地図」は保管していた資料から発見されました。 縁あって、私は、権田保之助の次男速雄氏と交流を持つことができました。速雄氏は父保之助の残した資料は研究する…

権田保之助の次男速雄氏が死去しました

2019年1月1日、権田保之助の次男速雄氏が亡くなりました。 2019年1月1日、権田保之助の次男速雄氏が、熱海で亡くなりました。 享年98歳。ご冥福をお祈りします。 1月5日の通夜、6日の葬儀は近親者のみで行われました。 1月5日は父、権田…