権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

芝居や映画好きだった權田保之助

息子たちと芝居を見た權田保之助

以下、權田保之助のメモ(権田速雄氏が書き写したもの)より。

昭和4年3月27日]
矢張り、速雄と照雄(三男)との為に、子供の芝居を見に明治座へ出かけた。雨にぬかった道を遠く久松町まで、電車で行くことは閉口した。
途中で降参して、とうとうタクシーで乗り付けた。
速雄は前に一度 芽生座の公演を昨年秋に朝日講堂で見たので、芝居の経験はあるが、照雄は初めてにて不思議がってゐた。
二人とも、第三の「天下太郎諸国漫遊記、冒険の巻」が一番に気に入った、いや可愛らしい観衆は何れも皆、これが最も面白かった様だ。
第一の「実を結ばぬ椿」は、哀調を帯び過ぎて、不向き。
第二の「ほほゑみ」は余りに教えやうとし過ぎて失敗。
第四の「玩具店」なぞは先づ先づ無難のものか。

 

映画「カリガリ博士」を何度も見損ねた權田保之助

同じく、權田保之助のメモ(権田速雄氏が書き写したもの)より。

昭和4年3月29日]
雨降りしきる中を、松屋で用達しをすませて、午后一時前に「シネマ・パレス」へ来た。それは「カリガリ博士」を見度い為である。「カリガリ博士」は、今までよくよく縁がなかった。大正十年 浅草調査をした其の時に キネマ倶楽部で封切されてゐたのを僅か二三分間見た丈けで、遂に機会を逸し、外遊して伯林で夏(一九二五年の)Tauentsien-Palastに上映されてゐたのに、これも遂に見遁がして仕舞った。所が今度「独語研究」を創刊して創刊号の巻頭には口絵として「カリガリ博士」の映画の一場面を特に載せた。その雑誌は昨日、見本が一部届けられたのである。
そう云ういきさつでどうしても今度こそ見て置かねばならぬ映画だったのだ。
カリガリ博士」は、何としても優れた記念である。
「殴られる彼奴」もいい映画だ。「エル・ドラドー」は一番感心され得なかった。