権田保之助の収集したおもちゃ絵に出合いました
10月6日、茅ヶ崎市美術館で開催している「江戸の遊び絵づくし」展を観てきました。珍しい作品も多く、展示も工夫されていてとても面白かったです。
[茅ヶ崎市美術館ホームページ]
http://www.chigasaki-museum.jp/
「組上絵を組み上げてみて!」というワークショップにも参加しました。
切り抜いて組み立てる浮世絵「組上絵」を使って、立体的な作品を作りました。
実際に組み立てて見ると意外と難しく、当時の子供の想像力の豊かさと手先の器用さを感じました。
講師の城戸さんは、権田保之助の次男速雄氏に工房で銅版画を教えていた先生です。
ワークショップで使った組上絵について城戸さんに伺ったところ、権田保之助が収集したもので、権田保之助の死後、酒井好古堂で買い取ってもらえなかったため価値がないとして速雄氏が捨てようとしていたものを、速雄氏の奥さまが譲り受け、その後箪笥の着物の下に保管されていたものだそうです。保管していることをすっかり忘れていましたが、平成24年頃に自宅の片付けをしていて偶然に見つかったようです。その後、速雄氏が城戸さんへ譲りました。
権田保之助が収集したおもちゃ絵に出会えました。驚きです!
ワークショップの帰りに工房で、実物のおもちゃ絵を見せていただきました。色鮮やかで、大切に保管されていた様子が伺えます。
明治中期から大正初期に発行されたもので、着せ替え絵、組上絵、千代紙など20数枚ありました。半数近くは明治6年から明治政府主導で発行された「教育おもちゃ絵」でした。
明治後期からおもちゃ絵を収集・研究していた権田保之助
権田保之助は書生時代(明治後期~大正初期)、特に芳藤のおもちゃ絵を中心に収集して研究していたと次男の速雄氏から伺いました。
明治後期は露店で多数のおもちゃ絵が1枚数十銭で売られていたようですが、大正6年頃になると浮世絵や錦絵が流行して研究や収集する人も多くなりつつあり、おもちゃ絵も一桁値段が上がったようです。(錦絵第5号「7月の日誌より」、錦絵第6号「おもちゃ絵に就いて」権田保之助)
雑誌「浮世絵」などへ論文投稿していた権田保之助
酒井好古堂発行の雑誌「浮世絵」などに大正4年(1915年)から9回、玩具絵(おもちゃ絵)に関する論文を投稿しています。
そして大正6年9月刊の「錦絵」に投稿した「おもちゃ絵に就いて」にて、おもちゃ絵とは子供を享楽の主体とする版画であると定義し、以下のように分類しています。
●「おもちゃ絵」の中堅
1.現相界を描いたもの
(イ)子供の世界を写し出したもの
「当世子供遊び」なぞいう題での男の児、女の児の色々な遊び。
(ロ)大人の世界を写し出したもの
「大名行列」「町火消」「祭礼」「台所道具」「お稽古」など。
(ハ)大人の世界を子供にて表したもの
子供の火消しや大名や山車のお囃しなど。
(ニ)人間の実生活を動物にて表したもの
「猫のお湯屋」「獣物商人尽し」など。
(ホ)新興の文明現象を写し出したもの
「汽車」「鉄道馬車」「人力車」、近頃では「飛行機」「自動車」など。
(ヘ)「何々尽し」と云って同種類のものを列挙したもの
「虫づくし」「獣物づくし」「名馬尽し」「樹木尽し」「面尽し」など。
2.仮相界を描いたもの
(イ)子供の理想界を表したもの
「武者絵」「相撲絵」「あねさま絵」「役者絵」。
(ロ)童話を表したもの
桃太郎、カチカチ山、猿蟹合戦など。
(ハ)芝居を表したもの
役者を皆な子供にしたり、動物で表したりなど。
(ニ)全然絵師の空想を表したもの
「ほうずき遊び」など。
●第二次的の「おもちゃ絵」
(1)実用的意味が変じて「おもちゃ絵」となったもの
疱瘡絵など。
(2)凧絵
凧に模した絵。
(3)教訓絵
子供に人倫五常を教えようという意味の絵。
(4)それを細工なぞして楽しむもの
「千代紙」「切組絵」「切組み細工」「切組み燈籠」など。
(5)絵を応用した玩具
「十六むさし」「目かつら」「福笑い」「双六」「かげ絵」「判じ絵」など。
(6)俚謡を絵に描いたもの
「ちんわん節」など。
(7)辻占絵
辻占に出ている絵。
これを見ると、権田保之助は多種類のおもちゃ絵を幅広く収集して研究していた様子が伺えます。
「芳藤(よし藤)」を高く評価していた権田保之助
権田保之助は絵師「芳藤(よし藤)」を高く評価していたことが以下の記載から伺えます。
「何と云っても芳藤が一番偉い。他の筆者等が子供の享楽を忘れて、大人が鑑賞して味ふべきものを描く傾向が有るにも係らず、芳藤は常に子供の心と其生活を徹底せしめて描いたので、玩具絵(おもちゃ絵)の独歩と云う事が出来る。」
(書画骨董雑誌 大正5年6月)
展覧会におもちゃ絵を出品していた権田保之助
権田保之助は、大正7年(1918年)2月5日から20日に白木屋呉服店(現在の東急日本橋店)で開催された「おもちゃ絵の展覧会」におもちゃ絵を出品しています。当時の「おもちゃ絵陳列品目録」によると、巌谷小波、橋田素山、権田保之助の3氏が24点を、三代目いせ辰が80点を陳列しているようです。
明らかに総括的な意味での「おもちゃ絵」ということばが用いられたのはこの時が初めてで、それ以前は「おもちゃ絵」ではなく、絵草紙、または一枚摺りの名で通用していたようです。(「おもちゃ絵 江戸庶民のエスプリとデザイン」(飯沢匡、広瀬辰五郎 著、徳間書店刊))
日本浮世絵博物館に所蔵されている権田保之助が収集したおもちゃ絵
権田保之助が収集したおもちゃ絵は、権田保之助の死後、戦後の混乱期で生活に困り、昭和36年(1961年)に酒井好古堂で買い取っていただきました。
昭和36年の速雄氏の手帳に
・2/13(月)浮世絵複製を酒井好古堂にて1,000円で売却
・2/14(火)おもちゃ絵を酒井好古堂に持参。2/16(木)7,500円で売却
・3/3(金)浮世絵一包(おもちゃ絵含む)を酒井好古堂へ持参。3/4(土)3,500円で売却
と記載されています。
当時のサラリーマン平均月収が4万円程度です。一部の収集家を除くと、おもちゃ絵は殆ど一般に関心が無かった時代ですので、売った枚数は不明ですがかなりの額で買い取っていただいたものと考えます。
現在、松本にある日本浮世絵博物館に所蔵されています。
[おもちゃ絵に関する情報(酒井好古堂ホームページより)]
http://www.ukiyo-e.co.jp/40565/2019/10/
[おもちゃ絵の例(国立国会図書館デジタルコレクション)]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304735?tocOpened=1