権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

今でも残る權田保之助の鍋横での記憶

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現在の中野区鍋横に住んでいた權田保之助

權田保之助は、大正10年11月から、中野町本郷(現在の中野区鍋横地域センター、鍋横保育園のある場所)に住んでいました。

 

地域で発行している冊子に当時の權田保之助邸の記載あり

中野区鍋横地域センター内の「なべよこ観察隊」は、平成6年(1994年)3月から「見たい 聞きたい 記録したい」を発行していますが、平成15年3月と平成21年3月に発行した冊子に以下の記載があります。

[以下、抜粋]
「・・・地域センターから杉並の和田にかけては、お屋敷が多く、地域センターのある場所もドイツ語の権田先生の邸宅でした。その後、女優の星美智子さんに渡り、それからセンターになったかと思います。この辺は文士が多く、センターの向かいに住んでいた早稲田大学の小宮先生は夏目漱石の研究をされていましたよ。」
「私は大正12年関東大震災の年に現在の住まいで生まれました。当家裏の崖上には、ドイツ語の先生だった權田邸(現鍋横保育園)、株屋・占い師だった茂木邸(現鍋横地域センター)、尺八演奏家の福田蘭童が一時期寄宿していた中村邸がありました。当時の神田川流域は田んぼと湿地帯で、寿橋は木製だったために、台風や大雨の際にはよく流出しました。・・・」