権田保之助ん家

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浅草を愛していた權田保之助

晩年、「浅草記」を愛読していた權田保之助

生前、権田速雄氏は以下のメモを残しています。

[以下、速雄氏のメモより]
戦中(晩年)、父の保之助が愛読していた書物がある。
「浅草記」 久保田万太郎著 生活社 昭和一八年七月刊
「寄席風俗」 正岡容著 三杏書院 昭和一八年一〇月刊
の2冊である。
戦時中よく二人の本が出版されたと思う程、時代にそぐわない味のある本である。
「浅草記」の中で万太郎が引用した高村光太郎の詩「米久の晩餐」には赤線が引いてあった。

以下、「米久の晩餐」抜粋。

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まあおとうさんお久しぶり、そつちは駄目よ、ここへお座んなさい
おきんさん、時計下のお会計よ・・・・
そこでね、をぢさん、僕の小隊がその鉄橋を・・・・
 おいこら酒はまだか、酒、酒・・・・
 米久へ来てそんなに威張つても駄目よ・・・・
 まだ、づぶ、わかいの・・・・
 ほら あすこへ来てゐるのが何とかいふ社会主義の女、随分おとなしいのよ・・・・
 ところで棟梁、あつしの方の野郎のことも・・・・
 それやおれも知つてゐる、おれも知つてゐるがまあ待て・・・・
 かんばんは何時・・・・
 十一時半よ、まあごゆつくりなさい、米久はいそぐところぢやありません
 きびきびと暑いね、汗びつしより・・・・
 あなた何、お愛想、お一人前の玉にビールの、一円三十五銭・・・・
 おつと大違い、一本こんな処にかくれてゐましたね、一円と八十銭・・・・
 まあすみません・・・・ はあい、およびはどちら・・・・

 八月の夜は今米久にもうもうと煮え立つ。
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懐古の情にさそわれたのではないかと思う。
この詩は最早や父の世界ではないのか。「民衆娯楽」と云う味気ない文字と議論は、この中に全部要約されている様だ。限りない共感と郷愁をこめて読んだことだろうと思う。
この本にはまだ他に赤線が引いてある。