権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

権田保之助の「おもちゃ絵」について

昭和52年1月に発行された「余暇行政」という雑誌(?)に東京経済大学助教授 田村紀雄氏が「娯楽調査を拓いた権田保之助」という記事を掲載しています。
その中で権田保之助の「おもちゃ絵」について論じています。

[以下、抜粋]
あまり知られていないが「『おもちゃ絵』について」という短い論文がある。これは非常に面白い。
何故注目するかというと、この論文が『錦絵』(大正6年)という書に収録されたように、娯楽における視覚媒体を論じているからである。民衆にとって、視覚による娯楽は、映画・テレビが生まれるまでは長い間芝居だったが、複製物としては絵画、かわら版、錦絵がある。「おもちゃ絵」は子どもの手遊び用に生まれた視覚媒体で、その流れが、絵の入ったメンコ、スターのブロマイド、切手やマッチ箱の蒐集として残っている。権田はまさしく、複製芸術を論じているのである。

「子供の為に画いたにしても、それがたった一つ切りであるという時にはおもちゃ絵とはなりません」

権田は、「純正美術」というより「大量生産」のもつ美と意味を考えたのである。これは明らかに、子供の娯楽の世界における大衆文化の成立を予見したものであった。かれがその発展として挙げているものの中には、凧絵、千代紙、双六、かげ絵など実に無数がある。テレビがなく、映画や芝居をごくまれに観賞するだけの戦前の子供達は、凧絵、メンコを遊びながら種々物語を想像した。それは楽しい想像力であった。千代紙の千変万化ぶりもよく知られることで、この遊びが女の子のイマジネーションに与えた影響もはかり知れなかったと思う。