権田保之助ん家

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ウイリアム・モリスの美術工芸運動と権田保之助の思想

権田保之助は、デザイナー、思想家、詩人であるウイリアム・モリス(1834~1896年)の影響を大きく受けたと考えられます。卒論「価値の芸術的研究」においてもウイリアム・モリスの説を引用しています。
ここでは、ウイリアム・モリスの美術工芸運動と権田保之助の思想の関連性に関して記載します。

イリアム・モリスというと鳥や植物をパターンにした壁紙デザインを思い浮かべる方が多いのではないでしょか。私もその1人で、1989年に新宿の伊勢丹美術館で開催されたウイリアム・モリス展で見たステンドグラス、壁紙、織物、家具、本の挿絵を見たのが始めでした。その時に購入したカタログにはウイリアム・モリスの紹介として芸術の他に、労働および社会主義に関する記載があります。当時は芸術しか興味がなかったのですが、労働および社会主義に関して興味深い記載があります。

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ひなぎく(1862年)

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ジェフリー・チョーサー著作集(1896年)

[ウイリアム・モリス展カタログ]
(「ウイリアム・モリス:芸術、労働そして社会主義」ウイリアム・モリス・ギャラリー館長 ノラ-・C・ギロウ)
 ・モリスの全活動にとって基本的なことは、芸術と社会は不可分に結び付けられているという信条である。・・これはとりわけ、あらゆる社会の日常生活につながっていて直接影響を及ぼす建築と装飾芸術においてあてはまった。
 ・機械化と大量生産は労働の本質だけでなく、生活様式全体にも影響を与え、台なしにしてしまった。
 ・彼は社会主義を、主として単なる唯物論に関連するものとは決して見なさなかった。たんに生産「手段」の管理を少数派の手から全社会の所有に移す、ということ以上に重要な目的を社会主義は持っていた。その主要な目的は生産の「目的」の管理を社会全体の手に委ねることであった。
 ・「彼(労働者)の前にある充実した人間らしい生活 -美を知覚し創作すること、すなわち本当の喜びの享受が、人間にとって日々のパンと同じくらい必要であると感じられる生活、誰からもどの人間集団からも、極力遠ざけねばならないより大きな妨害によって以外は奪われることがない- そういう生活の真の理想を設定するのが芸術の本領である。」社会主義の目的とその望まれる結果をこのように広く解釈した点で、モリスは彼の同志たる社会主義者とは違っていた。
 ・要するにモリスは、芸術的な生活と政治的生活、喜びと労働、芸術と一般の生活を首尾よく再統合する唯一の方法として、社会主義を見ていたのである。

 


[「ウイリアム・モリスの遺したもの」川端康雄著 岩波書店
 ・ウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)
  英国の近代化・産業化に伴う社会の急激な変化(人工の都市集中、機械による大量生産)に対して、伝統的な手仕事の復興、より素朴な生活様式への回帰、家庭の日用品のデザイン向上をめざす工芸の革新運動だった。
 ・書物の読みやすさ(機能)と美しさ(装飾)との根元的な一致をめざした。機能と装飾を背反する原理とみるのではなく、両者の一元的な把握を指向した点は、本造りに限らず、モリスの装飾芸術の活動全体を貫くものであった。

 

 

[「ユートピアだより」ウイリアム・モリス著 松村達雄訳 岩波文庫
 ・芸術即生活、生活即芸術である。芸術的創造の喜びなくして真の生活はあり得ない。また、生活に根ざすことない芸術的創造は真の芸術ではない。そして人間の労働を楽しくし、休息を実り豊かなものとすることにこそ芸術の真の目的がある。

 

 

[「美術工芸論(権田保之助著)について」](工芸美術誌『かたち』主幹 笹山 央)
 ・美術工芸の中には「(日常生活の需要に応ずる)実用」と「芸術作用」の2つの要素があり、その両要素を「抱合」せしめる工業活動が美術工芸である、というのが権田の定義である。
 ・「実用と美の内在的抱合」という美術工芸の存立についての権田の理論的ビジョンは、生産・労働と遊戯・娯楽とを同値的なものとして捉えようとした権田の民衆娯楽論の理論的ビジョンと、構造の上で相似であることに留意したい。
 ・権田の美術工芸論は、今日の目から見れば、実用と美とは互いに相容れない要素であるとする近代美学に対する批判とその超克の企図を含んでいる。同じように権田の民衆娯楽論は、生産・労働と遊戯・娯楽の近代主義的な二元論の批判とその超克を提唱するものと読める。
 ・論中に引用されているモリスの言葉『芸術の使命は人間の労働を幸福ならしめ、其の間暇を有効ならしむるにある』という労働享楽主義を、權田自身の思想的核として受け継いでいることは確かである。

 

 

[権田保之助の思想]
 ・卒論「価値の芸術的研究」(明治41年)
  労働と遊戯とは一段高き階段において統合され、機械は新しき芸術品製作の源となり、人生は一大芸術と化し、人間社会の森羅万象は一大芸術品と化さんとす。

 

 ・櫛田民蔵への書簡(明治44年12月16日)
  「かつを」の木彫に対する僕という復古主義の男を御想像致したく候。

 

 ・「美術工芸論」(大正10年)
  『労働』と『遊戯』とは全く縁を切って仕舞った。労働は趣味と全然無関係・没交渉となり終った。一刀を加えては楽しみ、一撃を与えては其の製作の過程を喜んだ時代の面影は失せて、誰れの為めに製作するという考、自己の満足の為めに労作するという気持は去って、唯だ資本家の営利の為めに労働するという状態となった。(緒論)
  人間は働いて而して後に享楽するという今日の不徹底なる二重生活のギャップを脱して、人間が働くということが即ち人間が楽しむということ其れ自身となり、人間が生くるということが享楽其れ自身となるのである。(第2編第5章)
  唯物史観には或る程度までの真理がある。然しながらそれと民族の有する人生観とか、民族性とか(其の様なものを認めるのが間違であるというならば、それは問題ではないが)との関係に至っては、なお取り残されているものがある。(第3編第1章)

 

 ・「 関東大震災直後に現れた娯楽の種々相」(「女性 4巻5号」大正12年11月 プラトン社発行)
  「私は娯楽なき人生は死である。人間に食物と飲物とが必要であるが如くに」というのが、私の持論であった。ところが幸か不幸か、今度の大震で、それが正当であったことが明らかになったのである。・・単に娯楽を恵むという古い形式の社会政策的方策に堕することなく、民衆生活と娯楽との関係を極めて緊密に結び付ける様な、民衆生活の中に娯楽あり、娯楽によって民衆の復興的元気が振作される様な徹底的な根本策が樹立せらるることを期待している。

 

権田保之助が復古主義者だったこと、民衆娯楽論において生産・労働と遊戯・娯楽とを同値的なものとして捉えようとしたこと、娯楽は人生において必要不可欠なものと捉えたことは、ウイリアム・モリスの思想によるものなのでしょうか。

 

新型コロナウイルスの影響で演劇や演奏会、展覧会などの芸術活動や旅行などの娯楽が自粛される中、芸術や娯楽によって与えられる感動や元気、気晴らしの有難みを痛感しています。また、リモートワークの導入によって、もはやワーク・ライフ・バランスではなく、ワークとライフの一体化が図れるようにも感じています。ウイリアム・モリスや権田保之助の考えは、現代において必要なものかも知れません。