権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

逝ける川上邦世氏に就いて

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彫塑 第2号(大正14年7月1日発行)


雑誌「彫塑 第2号」(大正14年7月1日発行)に「逝ける川上邦世氏に就いて」(中野桂樹)と題する記事に彫刻家 川上邦世について記載されているので紹介したい。

[以下、抜粋]
・お客が来ると、お茶の代わりだと云うので、先ずお酒を出すため、天下の大小酒人が集まったものだ。酒が巡ってくると、川上先生は得意の大筆を持出し、絵の描ける人であろうが、無かろうが、そんな事は一向頓着なく、一筆やれとせめ立てる。最後に出来上がった一幅の画面こそ実に見ものなのだ。自由画で、これを評して奇談珍説、酒が進むにつれて川上先生の一人壇場であった。


・遺憾に堪えないのは、3,4点を除く他の作品は、いずれも愛蔵家が所有し一般公開の期を得ずにしまったことである。尤も川上先生は強いて出品製作のために、製作するのでなくいつでも作品が完成した頃幸い展覧会でもあれば、そこへ出品されたものだった。何時でも一作一作がみな日常生活の愛児であり、芸術であったのだ。


・作品「きつね」に付いては面白い話がある。先生が或る日石神井の池の端で遊んで居ると一匹の狐が木の切株の処へ乗って、しきりに水の中の魚を捕ろうとして居るので、その様子が如何にも面白く是非これを製作して見ようと永い間種々と考察した揚句漸やく完成したのが、日本美術協会出品の「きつね」である。
処が妙な事には、その狐が毎夜枕元に立ち始めは、気味が悪いからと云うので展覧会閉会後家へ持って来ないで友人の処へ預けて置いたが、それも気になって仕方がないので、家へ持ち帰り石神井の池の畔りへ御堂を建てその狐を収めるのだと云って毎日アトリエの真中に飾ってどんな御堂にしようかとしきりに考察して居たと云う事である。

 

彫刻家である川上邦世氏は、大正14年6月2日に石神井村の奥に安眠されました。
権田保之助は川上邦世(澹堂)の木彫「かつを」を大切に所持していました。

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川上邦世の木彫「きつね」