先週、千葉県鋸南町にある菱川師宣記念館へ行き、特別展「浮世絵美人 時代を彩る女性たちを描いた絵師」を観てきました。
鈴木春信、喜多川歌麿などの美人画の名品が並べられ、絵師たちも工夫しながら時代に適応した美人画を書き続けた様子が感じられました。
特に歌麿筆「松葉屋喜瀬川」の髪の毛の生え際の産毛の描写は何度見ても「素晴らしい!」のひと言でした。
何よりも美人画の名品を真近でゆっくりと、しかも出品者の解説を聞きながら観られるのが至福のひとときでした。
他にも、菱川師宣の「見返り美人図」、「石山寺紫式部図」、また江戸後期「源氏物語」のパロディ読物「偐紫田舎源氏」(にせむらさきいなかげんじ)の大ブームにより流行した錦絵「源氏絵」から、「其姿紫の写絵」全54枚シリーズが特別公開されています。
そして、菱川師宣が1694年(元禄7年)5月に保田の別願院に寄進した梵鐘(ぼんしょう)の拓本がありました。
梵鐘には師宣の家族の名前が刻まれ、故郷と家族への感謝が込められた貴重な資料でしたが、残念ながら太平洋戦争中、金属回収令により1943年(昭和18年)に供出されてしまい現存していません。
菱川師宣記念館前に復元された梵鐘が設置されています。
権田保之助は、1917年(大正6年)8月末に別願院を訪ねて、この梵鐘(実物)を観て、梵鐘に刻まれた文字を全文書き写しています。
詳細は浮世絵専門誌「浮世絵」第29号(大正6年10月発行)に掲載されています。
私が菱川師宣記念館で購入した冊子にも梵鐘に刻まれた全文書が掲載されているので見比べたところ、いくつかの文字が異なっていることに気づきました。
当時、権田保之助が書き写し間違えたのか、浮世絵専門誌「浮世絵」の原稿で誤植が生じたのか、菱川師宣記念館で購入した冊子の文字に何らかの間違いが生じたのか分かりません。
機会があれば、もう一度、梵鐘(ぼんしょう)の拓本を確認したいと思います。
(梵鐘文字の相違箇所)
浮世絵専門誌「浮世絵」 菱川師宣記念館の「冊子」
アマ千代清空也影 アマ千代清空西影
ヲイス 同妻妙木 ヲイヌ 同妻妙本
ヲカマ正勝寺室 ヲカマ正膳寺室
(追記)
その後、菱川師宣記念館の館長に知人から問合せをしていただいたところ、次のような返事が来ました。
「梵鐘の銘については権田氏の写し間違いと思われます。記念館には梵鐘銘の拓本(大正期に採拓)も展示しています。」
もし再度、来館されたら、記念館に展示されている梵鐘銘の拓本(大正期に採拓)を確認されることをお勧めいたします。
つまり、菱川師宣記念館の冊子は、大正期の梵鐘銘(実物)の拓本をもとに作成しているので間違いないとのことです。
大正6年に権田保之助が書き写し間違えたのか、浮世絵専門誌「浮世絵」の原稿で誤植が生じたのか、原因は定かではありませんが、浮世絵専門誌「浮世絵」第29号(大正6年10月発行)の記載に4か所の誤字があることが令和6年に発見されました(苦笑)。