権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

「カムカムエヴリバディ」は興味深い

NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が始まって、2か月が過ぎようとしている。
「カムカムエヴリバディ」はラジオ英語講座とともに歩んだ3世代の女性を描くドラマでテンポがよく、話の展開に目が離せない。戦争中という時代背景もあり、ラジオ放送の内容が変化していく当時の様子も興味深い。

 

・1925年(大正14年)3月22日、ラジオ放送開始。ラジオ英語講座開講。
・1931年(昭和6年)4月6日、ラジオ第二放送開始。ラジオドイツ語講座開講。
・1939年(昭和14年)から第二次大戦始まる(日本は米国と戦う)。英語は「敵性語」と見なされ使用禁止。英語講座はラジオから消える。
・1942年~1945年頃、権田保之助がラジオドイツ語講座の講師を務める。
・1945年(昭和20年)、終戦。平川唯一講師の「英語講座」(通称:カムカム英語)開講。

 

カムカム英語の平川唯一氏は元NHKアナウンサーで、渡米経験もあり英語に堪能で、日常の身近なテーマを楽しく英語で学べるよう工夫したそうである。

 

「英語は人生の地平線を広げてくれる」
ラジオ講座「ラジオでカムカムエヴリバディ」講師の大杉正明氏の言葉だ。英語でいろいろな国の人とコミュニケーションすることで、物事の見方が広がるということだ。

 

権田保之助(1887年~1951年)は、1905年(明治38年)に東京外国語学校独逸語学科に入学してドイツ語を学び、独逸学協会学校(後の独協中学校・高等学校)の教員、和独辞典・独和辞典の編纂などを経て、1923年(大正13年)から1年間、主にドイツのベルリンへ渡欧している。
「ドイツ語で分からないことがあったら権田に聞け」と言われる程、権田保之助はドイツ語に堪能でドイツ語で生計を立てたが、英語にも堪能であったようだ。
第二次大戦中も「これからの時代、英語は必要」との考えで、子息に英語を学ばせていたが、「敵性語はけしからん」とのことで、しばしば自宅を憲兵に囲まれたそうである。

 

私もラジオでの英語講座にはお世話になった。特に「百万人の英語」は日替わりの個性的な講師で、楽しかったのを覚えている。「カムカムエヴリバディ」(確か第2話)のラジオ英語講座で名前が出てきたJBハリスにも英単語を教わった。

ハイディ矢野アメリカン・イングリッシュ道場のスタジオにゲストで参加したこともある。「ピロピロメソッド」で、病院を「ホスピタル」と発音して「ホスピロ」とダメ出しをくらったのを覚えている(笑)。

その後も真剣に英語学習を継続していけば良かった(苦笑)。

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JBハリスの豆単特講

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アメリカン・イングリッシュ道場