権田保之助ん家

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八丈島の太鼓イベントに参加して

 

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24時間チャレンジ八丈太鼓


2021年11月13日(土)~14日(日)に「24時間チャレンジ八丈太鼓」というイベントが伊豆七島八丈島で開催された。毎年この時期に開催され、今年は12回目の開催だ。昨年は新型コロナの影響で、海外数か国、国内数か所をオンラインでつないでの開催となった。交代しながら、文字通り24時間八丈太鼓を打ち続けるというイベントで、伝統芸能である八丈太鼓を広める目的で12年前に始められた。回を重ねる毎に島外や海外からの参加者も増え、八丈島の子供たちの参加も増えた。
今年は新型コロナの影響で海外からの参加はなかったが、昨年の経験を生かし、各国で八丈太鼓を打つ映像をオンラインで共有することができた。

八丈太鼓の歴史は古く江戸時代までさかのぼると言われている。昔は島の道路事情が悪く坂下地域と坂上地域の行き来が困難で、地域で独自の八丈太鼓が発達した。そのため、坂下地域の大賀郷と坂上地域の樫立では八丈太鼓のベースのリズムや打ち方が異なる。また、八丈太鼓は個人芸でもあり、楽譜がなく、打ち手はベースのリズムに合わせてアドリブで自由に打つ。

こんな太鼓は他にはないだろう。

言葉では説明しずらいので、今年の24時間チャレンジ八丈太鼓の映像(以下のサイト)を是非観ていただきたい。画面右側の人がベースのリズムを打ち、左側の人がそれに合わせて自由に打っている。

[24時間チャレンジ八丈太鼓]
https://youtu.be/1afEXDLYIpw

 

 場所は変わるが、伊豆七島の新島、式根島にも独自の風習が残っている。
1つはお墓である。新島のお墓はダントウと呼ばれ、墓石は個人毎に建てられ「〇〇氏」と刻まれている。墓地全体には白砂が敷かれていて、とてもきれいだ。線香は白砂へ直接立てる。
2つ目は井戸と水槽である。式根島は昔、明治25年(1892年)に完成した「まいまい井戸」の水を飲んでいた。各家庭では雨どいの水を砂、竹炭などで濾して溜めた水槽の水を飲んでいた。水槽には金魚を泳がせた(理由は思い出せない、汗)。水槽は複数あり、火事の時は衣類を入れて消失を逃れた。
現在は新島の井戸の1つを海底ケーブル(送水管)で式根島へ送っているが、今でも当時の井戸や水槽が残っている。

 

権田保之助の妻、前田タンは新島出身で、実家は代々、酒、味噌、醤油等の醸造業をやっていて伊豆七島全域に出荷していた。前田タンは上京し女学校に通い、その女学校での親友が権田保之助の姪であったことから、保之助とタンの交際が始まり、大正6年(1917年)11月28日に結婚した。権田保之助は新島、式根島をこよなく愛し、何度も島を訪れ、「新島の盆踊」、「伊豆の新島」、「新島の土地と家」等の民俗学的エッセーを雑誌に発表している。今でも式根島は温泉など豊かな自然に恵まれ、ダントウ・さきばたなど独自の風習があり、島の人々は素朴だ。脂ののったムロアジのくさやも美味しい。

こういった地域独自の芸能・文化・風習も、人と時代とともに変わり徐々に薄れてしまう。

 

「八丈太鼓を変えてはいけない。しかし、変わってしまうのは仕方がない。」

2004年1月に初めて八丈島へ行き、島の人から聞いた言葉だ。自分のたたく八丈太鼓にこだわりがあり、打ち方は1人1人異なる。人の数だけ八丈太鼓があるが、その人が亡くなってしまうとその人の八丈太鼓は無くなってしまうようだ。個人史(各個人の経験)がその時代の事実を表わしていると思うと、1人1人の八丈太鼓は貴重だ。You Tubeなどの映像に残すことはできるが、太鼓を生で観るのとは迫力が違う。機会があれば是非、八丈島で実際に観てほしい。

 

また、便利な生活をしていると、災害などで電気・水・通信が止まってしまうと何もできず、生きる力の無さを実感する。例えば、電動式のポットだけでなく空気圧でお湯を押し出すポット(昔はこれが主流)など、ローテクでも生活できるような仕組みが必要だろう。

「昔は楽しかった。今のように進歩していないが苦でなかった。今は電気がなくなると生きていけない。もう昔へは戻れないが。」

絵本作家である安野光雅(あんのみつまさ)氏の言葉だ。(「日曜美術館Eテレ。2021年2月14日放送)

 

デザイントークス+(プラス)「原始への回帰」(Eテレ)で、建築家の田根剛氏が土で作ったテーブルなど沢山の土や木を室内に配置し、屋外の感じや解放感、大地と繋がりながら自然を楽しむ建造物を指向している。
また、デザイン活動家のナガオカケンメイ氏は、昔から長く作られ続け人々の暮らしの中で使われてきた物の価値を再発見するという「ロングライフデザイン」という考え方を提唱し、モノの使い捨て、消費文化の見直しを求めている。


より早くより安くといった効率主義に走り過ぎていないだろうか。タレントの所ジョージも言っている、「余計なことが面白い。面倒くさいのが面白い」と。

「便利さの中に何かを捨てている。不便さの中でささえ合っている。自然の中に人間がいる。」萩焼 三輪休雪(13代)の言葉だ。

人間は自然と共存していることを忘れてはいけない。