権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

娯楽の世界を変えたラジオ放送の開始

NHK連続ドラマ「おちょやん」こと浪花千栄子は1954年(昭和29年)から1965年(昭和40年)までNHKラジオ第一でラジオドラマ「お父さんはお人よし」に出演している。
ところでラジオで娯楽はいつ頃から放送されたのか。

日本のラジオ放送は1925年(大正14年)3月、社団法人東京放送局JOAK、現在のNHK東京ラジオ第1放送)によって始まった。
放送開始当初は、株式、物価、ニュース、天気予報、料理献立、英語講座、音楽などで番組が構成されていた。
1930年(昭和5年)にラジオが寄席の客寄せに有効だということが分かり、ラジオ中継を通して落語や漫才が披露されるようになった。
権田保之助も(昭和10年)2月にラジオ番組「母の講座」で講師を務め「児童の娯楽」について講義している。
また、1940年代にラジオドイツ語講座の講師を務めている。
国家の戦時体制が強化されると、ラジオでも戦意高揚や忠君愛国を叫ぶ番組が増加し、落語や漫才は「慰安」として取り上げられたが、番組の数は少なかった。
終戦後はGHQ占領政策の下でラジオ放送が行われ、義士伝ものが多い浪曲は大きな影響を受けたが、落語や漫才などのお笑い系はその対象とならず、1946年(昭和21年)8月には「笑いの時間」が設けられるなど、ラジオ娯楽の中心になった。
1946年(昭和21年)は、戦後のNHK立て直しのため4月に大原社研の高野岩三郎NHK初代会長に就任し、権田保之助がNHK常任理事に就任した年である。
きっと権田保之助もラジオ娯楽に貢献したのだろう。